【読書メモ】なぜ人は締め切りを守れないのか
仕事の締め切りを守り続けることに疲れていませんか。私は疲れました。
社会人たるもの締め切りを守って当然という風潮があるため、締め切りを破った場合のダメージは大きくなりがちです。
だからこそ締め切りを優先しますが、その結果として、家族の時間、趣味の時間、休憩の時間、色々な時間が失われているように感じます。
この不満感はどうすればいいんでしょうか。
何かヒントが得られればと思い、難波優輝著「なぜ人は締め切りを守れないのか」(堀之内出版2025年発行)を読みました。
時間感覚は絶対的ではない
本書では時間感覚が歴史によってどう変化してきたかを考えるところからスタートします。
令和を生きる私たちは時計があるのが当たり前ですから、「卵を茹でる時間は10分」のように時計を使って時間を計測する考え方が染み付いています。
しかし時計がなかった時代は、一定の時間を表すために「卵が茹で上がるまでの時間」と行為によって計測していたようです。
このように時代とともに変化してきた時間感覚ですが、現代の時間感覚の特徴とその弊害として、以下の具体例が挙げられています。
資本主義の影響:現在より未来を優先
資本主義の台頭に伴い、時間は「金銭的価値を生む資源」として扱われるようになったそうです。その結果「時間の浪費は悪」「効率化が善」という感覚が普及したとのこと。
時間を資源として扱うことで発生したいくつかの弊害について本書で紹介されていますが、特に注目すべきと思ったのは、未来のために現在を犠牲にする点です。
時間を資源として扱うということは、今この瞬間を流れている時間をただただ過ごすのではなく、時間をどう使えば価値を生み出せるのか考えることになります。
そうなると、現在を楽しむ時間は浪費になり、未来に備える時間は投資になります。
将来いい大学に入るために、今日は遊ばず塾に行く。
老後に困らないように、今は休まず働いておく。
現代では当たり前とも言えるこのような行動は、未来に備えるために現在のやりたいことが後回しになっている、つまり未来のために現在を犠牲にしていると言えます。
私自身、時間をもったいないと思う感覚もありますし、将来のために今は我慢という判断も自然だと思います。
どうやら私の時間感覚は、すでに資本主義に染められているようです。
デジタル技術の影響:重要より緊急を優先
デジタル技術の発展に伴い、リアルタイム性が重視されるようになり、常時オンラインの文化ができました。
そのおかげで、現代はいつでもすぐに連絡できますし、連絡すればすぐに返信が来ることも当たり前になっています。
逆に言えば、私たちはいつでも返信できる状態であることが求められている、とも言えます。
この状態を著者は火の粉を使って表現しています。デジタル技術が生み出す大量の小さなタスクが火の粉のように私たちに降りかかり、私たちはその火消し作業に追われている、と。
四方八方から絶え間なく来る連絡が火の粉、その対応が火消しというのは絶妙な例えです。火の粉を放置したら燃え広がって火事になるように、連絡を返さず放置していたら収拾がつかなくなります。
火消しに追われる弊害として、重要なことに取り組めなくなる点が挙げられています。
人生において重要なこと(育児、趣味、信頼関係構築など)は、長い時間をかけて取り組む必要がありますが、明確な締め切りが決まっていないことが多いです。
一方で、デジタル技術が生み出す火の粉は、重要ではないのに、明確な締め切りが決まっていることが多いです。
人生をかけて取り組むことは重要だが緊急ではない、火の粉は緊急だが重要ではない。
私たちはいつの間にか、火消しを優先するために重要な取り組みを後回しにし、本来それに取り組むはずだった時間がなくなっていきます。
私も身に覚えがあります。家族旅行中の夜、ホテルの一室で過ごしていた時間に職場から緊急の電話が入り、トラブル対応で数時間作業しました。
今振り返ると、家族で旅行を楽しむという重要な取り組みを後回しにし、トラブル対応という火消しを優先したと捉えることができます。
どうやら私の時間感覚は、デジタル技術にも染められているようです。
プロジェクトの影響:生活より仕事を優先
現在の労働環境では業種問わず、様々な活動がプロジェクトとして立ち上がります。
プロジェクトでは、誰がどのタスクをいつまでに完了させるのか、具体的に細分化します。つまり自分の責任範囲が明確になります。
しかし、プロジェクトが想定していない外部要因(子どもの看病で欠勤するなど)で締め切りに間に合わなくなることも往々にしてあります。
こういった事情で遅れた場合、「不測の事態に備えて作業を進めていなかった担当者の自己責任」という感覚が一般的ではないでしょうか。
こうした感覚が普及しているので、担当者は「遅れることは悪」という規範を受け入れることを余儀なくされます。
その結果、プロジェクトから押し付けられただけの締め切りはいずれ自発的に守るものに変わり、自分が時間を管理する主体になったかのように感じ、締め切りを守ることに自己効力感を感じるようになる、と本書では述べられています。
このような、他者による時間的支配(締め切りなど)を内面化する現象を「時間的自己規律」と言うそうです。私にはもはや洗脳のように感じられます。
このような特徴を持つプロジェクトが労働環境に普及する弊害として、プロジェクトの目標が絶対達成すべきゴールとして扱われ、生活の事情は後回しにされるようになります。
私はこの話も実体験があります。
家族がインフルエンザにかかり病院へ送迎したり看病している時、プロジェクトの締め切りに間に合わせるために深夜残業や日曜出勤でカバーしました。
その結果ギリギリで締め切りを守り、自分はデキる社員だと思っていました。まさに洗脳されていたのでしょう。
社員の家族が病気になるというありふれた外部要因だけで間に合わなくなるような、無茶な割り振りをしているプロジェクトに問題があるはずなのに。
プロジェクトから押し付けられただけの締め切りという時間を守るために、夜は寝て休日は休むという生活の基本すら疎かにしました。
どうやら私の時間感覚は、プロジェクトにも染められているようです。
時間の価値を自分で評価する
ここまで述べた通り、私たちの時間感覚は現代ならではの文化に染められています。
資本主義の影響で現在より未来が、デジタル技術の影響で重要より緊急が、プロジェクトの影響で生活より仕事が優先されます。
では、そのように染められた時間感覚を持ちながら、私たちはどうすれば満足のいく時間が過ごせるのでしょうか。
本書で議論されている対策案の中で、個人の範囲で実践できて効果的だと思ったのは「時間の価値を自分で評価する意識を持つ」ことだと思います。
例えば、急ぎの依頼に対応するために余分に働いた1時間と、家族揃って食事する1時間は、どちらが価値があるのでしょうか。
1時間働いた場合の成果は計上できます。依頼を1件こなした実績が残り、残業代が1時間分もらえます。
一方で、1時間働くことで生じる損失は計上できません。家族揃って食事する機会が失われたとて、金銭的な損失はありませんし、体感的な損失も計上することはできません。
このように私たちは、労働に時間を費やすことで得た成果は計上できても、その時間を労働に費やしたことによる損失を計上する術を持ちません。
計上できない損失は考慮しにくいです。考慮しにくいがゆえに、いつしか存在しないものとして扱われるようになります。
しかし、自分なりに時間の価値を評価する意識を持つことで、これまで気づけなかった損失に気づけるようになり、気づけたのであれば考慮できるようになります。
ここで誤解してほしくないのですが、損失を最小化することが重要なのではありません。この考え方は前述の資本主義のように、時間を資源として扱う感覚の延長線のままです。
重要なのは、損失を考慮したうえで納得できる時間の過ごし方を選ぶこと、だと思います。
資本主義の影響で現在より未来が優先されるようになりました。しかし、現在を犠牲にする損失と未来に備えない損失をどちらも考慮できれば、現在を優先する選択肢も持てるはずです。
デジタル技術の影響で重要より緊急が優先されるようになりました。しかし、重要なことを後回しにする損失と緊急なことを後回しにする損失をどちらも考慮できれば、重要なことを優先する選択肢も持てるはずです。
プロジェクトの影響で生活より仕事が優先されるようになりました。しかし、生活を疎かにする損失と仕事の締め切りを破ることで生じる損失をどちらも考慮できれば、生活を優先する選択肢も持てるはずです。
現在の文化に決められた優先順位に従って時間を使うのではなく、自分が納得して選択した時間を過ごすことが重要だと感じました。
プロジェクトからの離脱は不義理ではない
本書の本筋である時間感覚の話題から若干それるものの、私に刺さるパートがありましたので、ここで記載します。
大変なプロジェクトに巻き込まれている時、仕事より生活が優先だと主張して離脱するのは現実的には難しい選択肢です。
なにせ担当者が途中離脱した場合、ただでさえ大変な状況なのに引き継ぎ作業が追加で発生し、すでにパンクしているであろう他の担当者に仕事が割り振られます。
そんな迷惑はかけまいという責任感を原動力に、締め切りを守ろうと無茶をする。
こういった経験は、私を含め多くのサラリーマンが経験したことがあると思います。
そんな私に刺さった、刺さりすぎて貫通したパートが本書P.132-135です。
本当はそのパートを原文のまま載せたいのですが、著作権の問題がありますので、ここでは箇条書きで要約します。
- プロジェクトのために無理して働いている人は「迷惑をかけたくない」「チームのために頑張りたい」と言うが、これは「暴走したプロジェクトの皺寄せをみんなで被ろう」と言っているにすぎない。人間よりプロジェクトが優先されているだけである。
- プロジェクトは当事者意識を持たせるように設計されているが、同時に従事者を交換可能なパーツとして扱えるようにも設計されている。「自分がいなければ回らない」と思っている人が離脱したとて、プロジェクトに支障はない。プロジェクトにとってあなたの代わりはいくらでもいるが、あなたを守れるのはあなただけである。
- プロジェクトを離脱すると後悔することがあるかもしれないが、後悔をかいくぐった先には、「ゆっくり休める」「やりたいことができる」という充足した時間が待っている。現代社会においてこのような充足した時間は、プロジェクトから離脱し休むことを選び取った人間にしか分からない。
いかがでしょうか。
私のために書いてくれたのかと思うくらい、私の状況と苦悩を的確に表しているパートでした。
これからはこのパートを胸に刻んで、プロジェクト至上主義に対抗していこうと思います。
納得できる時間の過ごし方にする確認ポイント
時間の過ごし方に疑問を持った時、何に取り組むべきか迷った時、以下の4点を自問自答し、納得できる選択をします。
- 現在より未来を優先しすぎていないか?
- 重要より緊急を優先しすぎていないか?
- 生活より仕事を優先しすぎていないか?
- 成果と損失をどちらも考慮できているか?